アラフィフの誕生日

「人生50年」。
このフレーズに最初に出会ったのは小学校の教科書でした。一般的には、敦盛を舞う織田信長の伝記の中で初めて耳にする方が多いと思います。「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け、滅せぬもののあるべきか・・・」と続く一節です。
教科書には足尾銅山事件で天皇に直訴する田中正造の逸話が収められていました。Web上の掲示板等で調べてみると、時節柄、足尾銅山事件を福島原発事故になぞらえたり、田中正造の政治理念や取組姿勢と現在の政治を比較して嘆いたりする投稿も見受けられ、今も田中正造が取り上げられていることに新鮮な驚きがありました。
もともとは道徳観を養うための題材として取り上げられたのでしょうが、その内容の題意よりも「人生50年。私は既にその半ばを過ぎている。」というくだりの方が、私には強烈な印象として記憶に残っています。当時の自身の祖父母と比べても随分と短い寿命に感じた様な気がします。因みに「敦盛の人間50年」は、人の寿命がたった五十年という意味でなく、下天(天界の最下層)では一日が人間世界で五十年に相当するというのが本意らしいです。
先日誕生日を迎え、不惑の40代も後半戦に突入し、人生50年のマイルストーンが眼前に迫ってきました。これまでの人生を振り返って嘆いてみたり、これからの人生を展望して憂いてみても始まらないことを頭では理解できる年齢になりました。あせることなく、自然体で日々が過ごせる境地になってみたいものです。
「論語」はいつかきっちりと堪能したいと考えておりました。50年の節目までにはそれを実践したいと考えています。30代の頃に買いだめした書籍の中に、未だ読了されずに書庫の中で熟成されつつあるものがたくさんあります。私がお気に入りの作家である童門冬二さんの著作「男の論語(上下)」もその中のひとつです。いつでも手の届く場所に鎮座して既に10年近い歳月が流れています。まずはこれをたしなむことが本年の課題になりそうです。

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